続いている、ほぼ日手帳。


一日一ページ。

ほぼ日に限らず、一日一ページを使う人は
意外とわたしの周りでは少ない。

インスタグラム などを見ると、ものすごくマメに書いている人がいたりして驚くことも。

人の日記や書簡を読むのが大好きなわたしだけれど、毎日自分が書くとなると話は別。

毎日?

しかし、同じように思う人は、もちろんいるわけで、そういう人は手を出さない場合が多い気がします。

なのに、ここ数年迷わず続いている。

「空白のページも、わたしの一日なのだ」と思ったのがきっかけ。

そんなふうに始めたら、逆に書けるように。

そして、いつの間にかその「サイズ」にも馴染んできて、手帳で悩むなんて無くなったのです。
元々悩まず、いつもヤマハでいただく能率手帳と、レフト式で、右がフリーなタイプのキャトルセゾンのものでした。いつからかヤマハの手帳がレフト式でなくなり、それから少し迷い始めたのです。


今では、トモエリバーという紙自体も好きだし、インクも顔料インクにしてあり、買った本は、ピンクで。

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元々、自分の楽譜は、終わったら捨てる派な私はもちろん手帳も一年終わったら捨てているのだけれど、去年から手帳は本棚に取っている(今更…)。

去年の今頃…と、振り返るのが面白いのは、ミニ写真シール付きだからかな。

性格的に「目立ちたい!人気とりたい」と思ったことがないので、ブログを書きながらも、実は友人家族への生存確認的なものであったりするし、日記となれば嘘がない。

さてさて、これは、残したくないものだぞ。誰にもみられたくないのに残すわけにはいかない。精神のヌードは耐えられないと言った作家がいたが、誰でもそうなのだろう。

これは解決できるのだろうか。






■最近買った本は「古井由吉 文学の奇蹟」河出書房新社。




「100分で名著」という番組があるようだが(テレビをつける癖がないので、見る癖もなく、どうせ見ないからわからないのだけれど、本屋さんに本が並ぶので知った)なんと、今月は吉本隆明の「共同幻想論」

え?今なんでそれ?と思いますよね。

うーむ。
学生の頃、誰の家にもあったような本ではあるけれど、今この時代には、尚更ちょっと無理がないかい?
まあ、人間には想像力というのがあるのだけれども。

むしろ今の時代に。
とは私の中ではならないのです。

しかし凄い雨と風。
災害の地域もとんでもないことになっています。自衛隊の皆さんには感謝しかいつもないです。


武漢ウィルスがもたらしたものって一体なんだったのだろう、歴史に確実に残る災害。天国にいるわたしの友人知人さん、どう思いますか?