皆さんご存知?
スイカ🍉ではなくて、電車のスイカは半年くらい使わないと、改札機で止められます(笑)

久しぶりの電車で、あら、案外早い!というタイミングでしたが、流石に暑かった。

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それこそ最近は、尾形アツシさんの器が、うちの定番になるほど、丈夫な上に、やはりあの刷毛目の力強さと土の感覚に圧倒されたまま、他が気にならなくなったという。
もちろん、黒の器の美しさを教えてくれた吉田直嗣さんの器も大活躍。
巳亦敬一さんの、なんとも言えない柔らかなガラスで飲む、冷たいものは、全ての五感に響きますし、寒川義雄さんの、本来お酒のお猪口を下戸な私は湯呑みにして、丁寧に茶葉を選んで淹れるあの時間も好きだし、石田誠さんの南蛮焼締のお椀は、ご飯はもちろん、おかずの器としても美しく、大事にしていた急須を割ってしまい、新入りの加藤財さんの美しい球体の急須には、たっぷり飲みたい私の心をしっかり受け止めてくれる。

こう書いていると、たくさんの人のパワーを、食材と一緒に、しかも毎日いただいているのだなあと、改めて感謝の気持ちでいっぱいになる。

ご飯は1人で食べることが殆どなので、最近よくあるインスタントなど、もしかしたら経済的なのかもしれないと思うけれど、病気になることを考えたら、きちんとその時の食材でいただくというのは、大切なことなんだなと思う。

それ以前に、私の縁のある方のおじいちゃまが、硫黄島でお亡くなりになっていたことを思うと、料理するのに、食べることに「面倒くさい」という言葉は、とても失礼に思うのですよね。一滴の水すら口にできなかった。私たち日本人の為に、あそこで戦ってくださった方々が、無精な現代人を見たらどう思うのだろうかと頭をよぎります。親族にも、戦争に参加したかったのに、検査で不合格になって最後までそれを気にかけていた愛国者もいます。

今は、特に野党が「戦争反対」をデモのような形でやっていますが、戦争したい人は誰もいません。歴史的事実がどんどん出てきて、第一次世界大戦からのヴェノナ文書のことやら、コミンテルンたちの、今も世界ではもちろん、日本にもいる工作員たちの戦争責任があらわになってきましたね。
そもそも戦争反対している人たちの、周りへの迷惑、暴力を見ると、とても「平和活動」と思えません。憲法改正したくないのでしょう。日本人は憲法を守ることに必死ですが、憲法で平和ですか?いや、拉致被害者が40年も返されていないことを考えたら、日本は平和ではありません。なぜか。やはり憲法ですね。それと、スパイ防止法がないのは決定的です。こんな国って先進国であるでしょうか?憲法には、憲法改正の手続きも書かれています。(法律勉強していてよかった)
それと、「七五三」といわれる、憲法7条、53条を個々にもう一度日本人として読むべきですね。
と、話がそれました。




こんな感じで過ごしているのだけれど、暑いのに?日傘を持って、電車での頭からのクーラー予防の帽子も持って、鎌倉に足を運んだのは、そんな食べることを毎日大切にさせてくれることを、間接的に教えてくれた器屋さんが、新しく開いたお店に行きたかったから。

でも、昼からの開店。よって、バーゲンが過ぎ去った、鎌倉スワニーに寄って、さらに値下がっていたイギリスのCLARK&CLARKの生地を購入!まさかこれが安くなっているなんてと。冬のインテリアに使いたい。いや、布団カバーにもいいなと思ったり。夢だけは膨らむ。

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光野桃さんの、「スランプサーフィン」に、ブルーのものというのが書いてあったけれど、そういう気分なのかなと、ここ一二年思う。





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そして、うつわ屋さんの方へ戻り。

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てっきり、なると屋さんの向かいかと思ったら、いつものハワイアンキルトのお店…ん?今は便利なスマホを家に忘れずに持ってきたので住所確認。いや、この辺だ…と、また外に出ると小町通り寄りの方で、奥に。こんな風になってたんだと。

見るだけだったし、本当は大皿でいいのがあればと思っていたのですが。

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おそらく、今の私でなければ惹かれなかったかもしれない器に遭遇。お店にいらしたのは、オーナーさん。(しかし、開店案内を、御成通りのお店でいただいて、どんだけ行ってないんでしょう・・・)

御成通りのお店では数回お見かけして、もちろん器への愛情こもる言葉の数々をいただいたり、吉田さんのオープニングの時にいらしたかな?いや、普通の日だった気もする。

決めた器を包んでいただいていた時「もう7月半ばなのねー、早いわね、時が過ぎるのは」と、少しオーナーの今までのイメージとは違う言葉が出てきた時、それはなぜか今の私には静かに心に染み入るような不思議な感覚で、一瞬私は止まってしまったが、会話を続けた。

その、器を見るたびに、私はこの瞬間のことを生涯想うのだろうと確信した、割らないかぎり。

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矢尾板克則さんのカップ。やはり湯呑として使いたい。このピンクページュが絶妙で、中は使う人をしっかり考えた作り。
色違いもあったのですよと言われたけれど、私はこの色でなければ手にしなかったと想う。


お皿お皿と、一旦このカップを見ても、ぐるぐる店の中を眺めながらも、遠くからこれを眺めたりと。心の中では、決まってるものなのだな。

よく、一生物という言葉があるけれど、おそらくそれは、ものの素材なのかな?と思う。人の好みも変われば時代により作られるものも違ってくる。

でも、確かなことは、自分の好みは、どこかブレずにあるわけだから、全てにどこか自分にとって「一生物」というところがあるのだろう。
断捨離が言われている今。私には無理だと常々思う。

何十年前の服でも本でも、探ることがあるのだから。そこには、選んだ自分にとって、確かに一生物なのだなと思う。

最近はどんどん捨てて、売って、新しいものをという風潮があるが、昔の人は、一つ買うにも必要かどうか選び抜き、使えなくなるほどまで大切にしたものだ。

そんな、何十年などというものが家にあるのは、私も何十年生きた証で、自分のシミ、シワを隠す人がいるけれど、私は頑張って生きた自分の証であるので、世間様のような考えはない。おばあちゃまのしわくちゃな手?それは、何十年積み重ねないと出来ない貴重なものなのですよ。そこにはたくさんの計り知れない財産が埋まっているの。

若い頃、早く30になりたかった。
日本では幼稚な方が嬉しがられることが多いようだが、私が好きな世界は、大人たちの世界で、そこに自然に参加できるには、若い時に遊んでいるより、知識をためないとと、コンパだなんだと動いている同級生たちとは、一線を画していた。だから大学のはじめ、体調が悪く入院して一ヶ月ほど行けなかったのちに、授業に出て、その後クラスの生徒と教授との飲み会?があり、そのとき、留年した人かと思ってたと言われてびっくり。思えばまだ十代なのに20歳ちょっとに見られること多かったわ、私。